12月4日レポート
今日も福島県金山町は雨が降った止んだりしながら寒い一日でした。
朝から古い木造校舎の廊下では、子供たちが行ったり来たり“おおはしゃぎ”。
給食室からは“ゆげき”が立ち上り、
遅くまで語り合ったお母さんたちはちょっとユラユラとした朝を迎えました。
今日は2泊3日の最終日。
僕の知らない世界がここにありました。
この数ヶ月ヘドロや瓦礫と向き合っていました。
その作業を通して人とも向き合っていました。
助けられ上手ではない東北の人々が多いので、
言葉は少なかった気がするのですが、
感じるままにそっと提案をしながら、
ヘドロを取り除き瓦礫を外していました。
あの日から9ヶ月近い月日が流れました。
目に見える支援から、
共に感じ繋がる支援がとても大切だと、
僕は感じました。
明日再び石巻に戻ります。
そうそう子供たちと、
ちょっと早いけれどステキなクリスマスの時を過ごせました。
2011年12月4日日曜日
2011年12月3日土曜日
2011年12月3日 がってんレポート
12月3日レポート
今日は寒い雨が降ったり止んだりしていて、
予定していたブナの森の散策は残念でしたが中止となりましたが、
次は絶対に行こうねって言うことになり、
次回の楽しみが増えました。
その他のプログラムはワイワイと楽しむことが出来ました。
蕎麦作りに笹巻き作り、とっても上手に出来たもんねっ!
とっても楽しかったんだけれど僕はとても複雑な気持ちでした。
きっとみんなも同じ気持ちだと思います。
この複雑な気持ちは『放射能』の影響から来ています。
知ってはいたのですが、
放射能の物質は目に見えませんでした。
匂いもしませんでした。
冷たくも暖かくもなく、目に見える風景はなんら変わりません。
唯一手元の数量計の数字と音が上下し、
放射能物質の存在を教えてくれます。
数量計と言う機械だけが危険の変化を教えてくれています。
これからほぼ永遠に近い長い年月の間、
数量計が全ての日常生活の中で、
放射能物質の危険を知らせ変化の状況を伝えている暮らし。
寝てるとき
ご飯を食べてるとき
友だちと遊ぶのも
恋をするのも
家族と居る時間のときも
全ての時間の中で全てを蝕んでいく。
僕たちは今、
こんな状況の地球の上で生きる物語の中に身を置いている事は確かです。
柔らかい日差しの下で、
お母さんに抱かれて眠る幸せを奪ったのは誰ですか。
土の上を裸足で駆け回る時を奪ったのは誰ですか。
『放射能があるから外で遊べない』と、
幼稚園児教えられて、
僕は今とても心が痛くて苦しくて。
ずるずると書きそうなので今日はこれで書くのをやめます。
今からお母さんと沢山お話をして子供たちと沢山遊びます。
そしてまた少し時間を置いてから書きます。
今日は寒い雨が降ったり止んだりしていて、
予定していたブナの森の散策は残念でしたが中止となりましたが、
次は絶対に行こうねって言うことになり、
次回の楽しみが増えました。
その他のプログラムはワイワイと楽しむことが出来ました。
蕎麦作りに笹巻き作り、とっても上手に出来たもんねっ!
とっても楽しかったんだけれど僕はとても複雑な気持ちでした。
きっとみんなも同じ気持ちだと思います。
この複雑な気持ちは『放射能』の影響から来ています。
知ってはいたのですが、
放射能の物質は目に見えませんでした。
匂いもしませんでした。
冷たくも暖かくもなく、目に見える風景はなんら変わりません。
唯一手元の数量計の数字と音が上下し、
放射能物質の存在を教えてくれます。
数量計と言う機械だけが危険の変化を教えてくれています。
これからほぼ永遠に近い長い年月の間、
数量計が全ての日常生活の中で、
放射能物質の危険を知らせ変化の状況を伝えている暮らし。
寝てるとき
ご飯を食べてるとき
友だちと遊ぶのも
恋をするのも
家族と居る時間のときも
全ての時間の中で全てを蝕んでいく。
僕たちは今、
こんな状況の地球の上で生きる物語の中に身を置いている事は確かです。
(僕だってどんぐりを拾う事をしたいんだ。)
(柔らかい日差しの下でお母さんに抱かれて寝ることが出来る幸せ)
柔らかい日差しの下で、
お母さんに抱かれて眠る幸せを奪ったのは誰ですか。
土の上を裸足で駆け回る時を奪ったのは誰ですか。
『放射能があるから外で遊べない』と、
幼稚園児教えられて、
僕は今とても心が痛くて苦しくて。
ずるずると書きそうなので今日はこれで書くのをやめます。
今からお母さんと沢山お話をして子供たちと沢山遊びます。
そしてまた少し時間を置いてから書きます。
2011年12月2日金曜日
2011年12月2日 がってんレポート
12月2日レポート
『第三回:ふくしま子ども元気村』プロジェクトがいよいよ始まります。
朝から準備をしました。
1歳から9歳までの子供たちが来ます。
まだ早いのだけれどクリスマス模様で行きましょうと言うことで、
いろいろデコレーションをして行きます。
なかなかオシャレの発想に切り替われない僕は、
『レスキューツリー』に出かけクリスマスツリーの準備です。
スコップを持ってナタを持ってのこぎりを持って川っぷちの土手へGOです。
『レスキューツリー』とは、
川ぷっちの護岸の場所や駐車場、
側溝などに着陸した木の実が時の流れの中で無事に成長したのだけれど、
側溝掃除やら護岸工事などの人的な事業とか、
成長過程で育ち難いと思われる環境下の木々をレスキューして植え替えるコトを、
僕はこの数十年間のライフワークとしています。
今回はクリスマスツリーに成りそうなコニファー系の木を探しに行きました。
この里の町はとてもきれいに整備されていて、
なかなかレスキュー対象の木が見つから無かったのですが、
橋の下付近にツリーがありました。
これからきっと子供たちがきれいにクリスマスツリーにデコレーションしてくれることと思います。
最後の日にはこの木を校庭にみんなで埋めようと思っています。
この3日間はこの木を囲んで気持ちの良い時間を過ごせたらと思っています。
今日本に、
そして地球の中に暮らす全てのみんなと同じに、
ここに集うみんなにも多くの物語の中に生きています。
悲しみ、喜び、癒し、寂しさ、悔しさ、辛さ、笑い、語らい・・・
共に今と言う物語の流れの中で、
進むしかどうやらない気がします。
そう感じます。
地球と言う大河が汚れに失われてた星々に想いをよせて、
新しい流れを大河を泳ぎたいです。
『第三回:ふくしま子ども元気村』プロジェクトがいよいよ始まります。
朝から準備をしました。
1歳から9歳までの子供たちが来ます。
まだ早いのだけれどクリスマス模様で行きましょうと言うことで、
いろいろデコレーションをして行きます。
なかなかオシャレの発想に切り替われない僕は、
『レスキューツリー』に出かけクリスマスツリーの準備です。
スコップを持ってナタを持ってのこぎりを持って川っぷちの土手へGOです。
『レスキューツリー』とは、
川ぷっちの護岸の場所や駐車場、
側溝などに着陸した木の実が時の流れの中で無事に成長したのだけれど、
側溝掃除やら護岸工事などの人的な事業とか、
成長過程で育ち難いと思われる環境下の木々をレスキューして植え替えるコトを、
僕はこの数十年間のライフワークとしています。
今回はクリスマスツリーに成りそうなコニファー系の木を探しに行きました。
この里の町はとてもきれいに整備されていて、
なかなかレスキュー対象の木が見つから無かったのですが、
橋の下付近にツリーがありました。
これからきっと子供たちがきれいにクリスマスツリーにデコレーションしてくれることと思います。
最後の日にはこの木を校庭にみんなで埋めようと思っています。
この3日間はこの木を囲んで気持ちの良い時間を過ごせたらと思っています。
(子供たちへのプレゼントを包んでいます)
今日本に、
そして地球の中に暮らす全てのみんなと同じに、
ここに集うみんなにも多くの物語の中に生きています。
悲しみ、喜び、癒し、寂しさ、悔しさ、辛さ、笑い、語らい・・・
共に今と言う物語の流れの中で、
進むしかどうやらない気がします。
そう感じます。
地球と言う大河が汚れに失われてた星々に想いをよせて、
新しい流れを大河を泳ぎたいです。
2011年12月1日木曜日
2011年12月1日 がってんレポート
12月1日レポート
石巻を朝出発して夕方に、
福島県金山町に到着しました。
金山町は奥会津の新潟県との県境にある山間の小さな町です。
何処か懐かしく感じる木造校舎を利用させていただきながら、
金山町の地元の方々と共に、『ふくしま子ども元気村』プロジェクトをこの週末に開催するために、
石巻のボランティアと共にやってきました。
『ふくしま子ども元気村』プロジェクトとは、
福島県内で放射線の影響が強いエーリアに身を置き、
なかなか重苦しい生活を送る形になっていると聞きます。
県内でも比較的放射能の影響が低い金山町で、
子供たちが思う存分に外や体育館で遊べたり、
美しい福島の山里の暮らしを満喫できる、
週末いきぬきツアーと思っていただいてもいいかも知れません。
目に見えず、匂いも、温度も無い放射能。
崩壊しつつある原子力発電所から放出された放射線が、
人々の暮らしに重く暗い影を落としている事は紛れの無い事実です。
いつの頃からなのでしょうか。
何処で履き違えたのでしょうか富と豊かさを・・・
明日の夜には、20名以上の親子の楽しげな声がこの美しい里に聞こえること思います。
石巻を朝出発して夕方に、
福島県金山町に到着しました。
金山町は奥会津の新潟県との県境にある山間の小さな町です。
何処か懐かしく感じる木造校舎を利用させていただきながら、
金山町の地元の方々と共に、『ふくしま子ども元気村』プロジェクトをこの週末に開催するために、
石巻のボランティアと共にやってきました。
『ふくしま子ども元気村』プロジェクトとは、
福島県内で放射線の影響が強いエーリアに身を置き、
なかなか重苦しい生活を送る形になっていると聞きます。
県内でも比較的放射能の影響が低い金山町で、
子供たちが思う存分に外や体育館で遊べたり、
美しい福島の山里の暮らしを満喫できる、
週末いきぬきツアーと思っていただいてもいいかも知れません。
目に見えず、匂いも、温度も無い放射能。
崩壊しつつある原子力発電所から放出された放射線が、
人々の暮らしに重く暗い影を落としている事は紛れの無い事実です。
いつの頃からなのでしょうか。
何処で履き違えたのでしょうか富と豊かさを・・・
明日の夜には、20名以上の親子の楽しげな声がこの美しい里に聞こえること思います。
2011年11月30日水曜日
2011年11月30日 がってんレポート
11月30日レポート
今日は朝から『チェーンソー等を使っての塩害樹木の伐採講習』を、
DRT-JAPANhttp://blog.canpan.info/coco/archive/2237が開催してくれました。
塩害と言っても津波の波がかぶり立ち枯れた木々です。
この広い東北の沿岸の植林地はきっと何処も同じなのでしょうね。
初めてチェンソーを持つ女子も男子もおじさんも、
皆真剣に木々と向き合った1日でした。
日本の多くの水害は、
戦後に植えた植林地の影響が大きいだそうです。
僕も和歌山の水害で目の当たりにしたのですが、
手入れが放棄されたような状態の植林の木々は根の張りも弱いのか、
根ごと流され橋に引っかかり流れをせき止める状態になっていました。
せき止められた流れは暴れ市街地に流れこんで、
被害をさらに大きくしていたように感じます。
水が引いた後も、
2次災害を引き起こすケースもあるので早く木々を取り除かないといけません。
塩害の植林地で実践の講習は、
多くの事を考えさせられました。
自然災害の多くは人災多いのかも知れません。
暮らし・仕事・生活だけを優先にしていたりしませんか。
今やっているコトは、未来に繋がりますか。
今日は朝から『チェーンソー等を使っての塩害樹木の伐採講習』を、
DRT-JAPANhttp://blog.canpan.info/coco/archive/2237が開催してくれました。
塩害と言っても津波の波がかぶり立ち枯れた木々です。
この広い東北の沿岸の植林地はきっと何処も同じなのでしょうね。
初めてチェンソーを持つ女子も男子もおじさんも、
皆真剣に木々と向き合った1日でした。
日本の多くの水害は、
戦後に植えた植林地の影響が大きいだそうです。
僕も和歌山の水害で目の当たりにしたのですが、
手入れが放棄されたような状態の植林の木々は根の張りも弱いのか、
根ごと流され橋に引っかかり流れをせき止める状態になっていました。
せき止められた流れは暴れ市街地に流れこんで、
被害をさらに大きくしていたように感じます。
水が引いた後も、
2次災害を引き起こすケースもあるので早く木々を取り除かないといけません。
塩害の植林地で実践の講習は、
多くの事を考えさせられました。
自然災害の多くは人災多いのかも知れません。
暮らし・仕事・生活だけを優先にしていたりしませんか。
今やっているコトは、未来に繋がりますか。
2011年11月29日火曜日
2011年11月29日 がってんレポート
11月29日レポート
石巻に着きました。
とてもきれいな夕日の下のベンチでパソコンを打ってます。
北海道から来ると暖かいですね。
どの位大地が沈下したのでしょうか。
震災前は見えていた
石巻由来の「巻き石」が北上川の水面の下で見え隠れしています。
建設車両がしきりに行き来しています。
不通だった橋も今は通れるようになっていますし、
津波で倒壊した建物も徐々に取り除かれ更地になって来ています。
忙しそうに歩く人や自転車が走っており、
大きな街である雰囲気が出ています。
午後に石巻に入ったので、
役所で車両の手続きをしたり、
避難所だった学校をいくつか廻りました。
避難所は閉鎖しているのは知ってはいるのですが、
誰か知っている人歩いて居ないかなって思ったからです。
誰も居ない学校と言う名の避難所は静かに閉ざされていました。
避難所の周りにあった家はまだあの時のまま・・・
壊すのを待っているのか、
それとも再びこれから直して暮らすのかは解らないのですが、
どちらにしても、
この住宅地には人影も無く静かに静まりかえったあの時のままです。
復興住宅が出来ていない今、
仮設住宅に居るのだろうなぁ
市内にある仮設住宅に引っ越したんだろうなきっと・・・
明日は早いです。
牡鹿半島の塩害にあった木々を手入れをしに行って来ます。
石巻に着きました。
とてもきれいな夕日の下のベンチでパソコンを打ってます。
北海道から来ると暖かいですね。
どの位大地が沈下したのでしょうか。
震災前は見えていた
石巻由来の「巻き石」が北上川の水面の下で見え隠れしています。
建設車両がしきりに行き来しています。
不通だった橋も今は通れるようになっていますし、
津波で倒壊した建物も徐々に取り除かれ更地になって来ています。
忙しそうに歩く人や自転車が走っており、
大きな街である雰囲気が出ています。
午後に石巻に入ったので、
役所で車両の手続きをしたり、
避難所だった学校をいくつか廻りました。
避難所は閉鎖しているのは知ってはいるのですが、
誰か知っている人歩いて居ないかなって思ったからです。
誰も居ない学校と言う名の避難所は静かに閉ざされていました。
避難所の周りにあった家はまだあの時のまま・・・
壊すのを待っているのか、
それとも再びこれから直して暮らすのかは解らないのですが、
どちらにしても、
この住宅地には人影も無く静かに静まりかえったあの時のままです。
復興住宅が出来ていない今、
仮設住宅に居るのだろうなぁ
市内にある仮設住宅に引っ越したんだろうなきっと・・・
明日は早いです。
牡鹿半島の塩害にあった木々を手入れをしに行って来ます。
2011年11月27日日曜日
2011年11月27日 がってんレポート
11月27日レポート
あの日のままの靴があった・・・(だらしない)
あの日の靴の汚れを落とし、
明日、再び3月11日に涙の流れた地に向かいます。
沢山の方々にご寄付をいただいたり、
物資を提供してくれたりしたおかげで、
こうやって私は何度も被災地に足を運ぶ事が出来ます。
私フットワーク軽い方ですが、
皆さまのご支援があってこそだと言うことを忘れていません。
着替えを少々と寝袋、
食料も水もテントも積みこんだ。
内地に滞在中何処で何かが起こっても、
対応できるように、
チェンソーも積み込んだし、
発電機も丸のノコ、バールに鏨、
そしてワイヤーやら、混合オイル・・・etc。
必要な機材を積み込みました。
家を出てから30時間程の移動だけれど、
再び現地へ行ってきます。
枯れてしまうほどの涙の先に、
笑顔が見たいから。
あの日のままの靴があった・・・(だらしない)
あの日の靴の汚れを落とし、
明日、再び3月11日に涙の流れた地に向かいます。
沢山の方々にご寄付をいただいたり、
物資を提供してくれたりしたおかげで、
こうやって私は何度も被災地に足を運ぶ事が出来ます。
私フットワーク軽い方ですが、
皆さまのご支援があってこそだと言うことを忘れていません。
(3/15の雪の中での活動を思いだします)
着替えを少々と寝袋、
食料も水もテントも積みこんだ。
内地に滞在中何処で何かが起こっても、
対応できるように、
チェンソーも積み込んだし、
発電機も丸のノコ、バールに鏨、
そしてワイヤーやら、混合オイル・・・etc。
必要な機材を積み込みました。
家を出てから30時間程の移動だけれど、
再び現地へ行ってきます。
枯れてしまうほどの涙の先に、
笑顔が見たいから。
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