2月24日レポート
屈斜路湖・釧路川の畔から一路石巻に入りました。
ボランティアベースの電気修理からスタートでした。
1階が全て水に浸かっていたので漏電がすごいみたいです。
ソラーパネルがあるのでソラーがフルに活躍できるように、
アレやらこれやら配線をつなげて伸ばして・・・
あとはお日様待ちですネ。
2ヶ月ちょっとぶりでしたので、
いろいろと打ち合わせや状況の確認であっと言う間に深夜となってしまいました。
明日は福島県に移動します。
PS:プラス気温だし土も顔を見せていますね。
とても新鮮ですプラス気温と土の色。
2012年2月24日金曜日
2012年2月23日木曜日
2012年2月23日 がってんレポート
2月23日レポート
津軽海峡を越えて東北へ入ります。
あの大震災からまもなく1年が経とうとしています。
東北もまだまだ寒い事とおもいます。
一歩を踏み出す時は、
迷うコト・悩むコト・戸惑うコト・思いどおりにならず立ち止まるコトも多いと思います。
焦らないでいいと僕は思うのです。
遅いと言う事はありません。
笑顔と元気で東北から再びレポート始めますね。

では行ってきます。
津軽海峡を越えて東北へ入ります。
あの大震災からまもなく1年が経とうとしています。
東北もまだまだ寒い事とおもいます。
一歩を踏み出す時は、
迷うコト・悩むコト・戸惑うコト・思いどおりにならず立ち止まるコトも多いと思います。
焦らないでいいと僕は思うのです。
遅いと言う事はありません。
笑顔と元気で東北から再びレポート始めますね。
では行ってきます。
2011年12月10日土曜日
2011年12月10日 がってんレポート
12月10日レポート
第六章:心
北海道を11月の下旬に出発したのですが、
その頃はまだ雪も少なかったのですが、
今ではしっかりと雪も積もり、
気温もしっかりと真冬なみになっており
本州帰りの僕の体には少し応えます。
あの大災害から9ヶ月、
北海道では目に見えて変わったことがあったと思えません。
しかし東北各地では今もなお災害が起した風景の中、
人々は一生懸命に、
時に無力感に襲われたり、
手をとりあって、
前に進んでおります。
今回は僕自身の暮らしと照らし合わせる事が多かったです。
自分自身が今までのような暮らしのシステムのまま進んでいいのでしょうか。
もしも同じ災害が私の暮らしの場に起こったときに、自分にとっての復興とは元の生活に戻れるコトを望むのだろうか・・・
そんなことを帰りのフェリーの中でうとうととしながら考えました。
東北の被災地もまた同じだと思います。
一人一人の復興とは、
けして元の暮らしに戻る事だけではなく、
地域のコミュニティーの再構築であったり、
新しい暮らしの場作りであったり、
今のニーズは目に見え難くいのだけれど、
純粋に『生きる』事へ真っ直ぐなことなんだと思いました。
自分に出来る事を後回しにしている時間は無い。
そうも思いました。
今、復興ボランティアとは心そのものなんだなぁと感じました。
一緒に笑い
一緒に汗をかき、
一緒に涙し、
一緒に知恵を出し合い、
一緒に・・・
そして心を一つにして。
言葉ではない繋がりの心を示すことなんだなと。
北海道で出来ること、
現地で出来ること、
これからも私の体を使ってやって行こうと新たに思いました。
前進あるのみです。
第六章:心
北海道を11月の下旬に出発したのですが、
その頃はまだ雪も少なかったのですが、
今ではしっかりと雪も積もり、
気温もしっかりと真冬なみになっており
本州帰りの僕の体には少し応えます。
あの大災害から9ヶ月、
北海道では目に見えて変わったことがあったと思えません。
しかし東北各地では今もなお災害が起した風景の中、
人々は一生懸命に、
時に無力感に襲われたり、
手をとりあって、
前に進んでおります。
今回は僕自身の暮らしと照らし合わせる事が多かったです。
自分自身が今までのような暮らしのシステムのまま進んでいいのでしょうか。
もしも同じ災害が私の暮らしの場に起こったときに、自分にとっての復興とは元の生活に戻れるコトを望むのだろうか・・・
そんなことを帰りのフェリーの中でうとうととしながら考えました。
東北の被災地もまた同じだと思います。
一人一人の復興とは、
けして元の暮らしに戻る事だけではなく、
地域のコミュニティーの再構築であったり、
新しい暮らしの場作りであったり、
今のニーズは目に見え難くいのだけれど、
純粋に『生きる』事へ真っ直ぐなことなんだと思いました。
自分に出来る事を後回しにしている時間は無い。
そうも思いました。
今、復興ボランティアとは心そのものなんだなぁと感じました。
一緒に笑い
一緒に汗をかき、
一緒に涙し、
一緒に知恵を出し合い、
一緒に・・・
そして心を一つにして。
言葉ではない繋がりの心を示すことなんだなと。
(こんなに壊れた建物でも直ぐに壊すことを考えず、どうしたら使えるように出来るか。
そして残す事が出来るかを地元の人と一緒に考えるボランティアです)
(考えるだけではなく、共に直していってます)
北海道で出来ること、
現地で出来ること、
これからも私の体を使ってやって行こうと新たに思いました。
前進あるのみです。
2011年12月9日金曜日
2011年12月9日 がってんレポート
12月9日レポート
今日再び海を渡って北の大地に戻らなければならない日になりました。
目に見える形の復興作業に参加することが少なくなかった僕。
けして、その様な汗をかく復興作業が無くなった訳では有りません。
瓦礫を取り除いたり、地域の人の笑顔が増えます様にと、公園を作ったり、いつまでも忘れられている入り江の中の瓦礫を取り除いたりと、まだまだやることは有ります。
目に見えぬコトへ携わる大切さを僕自身感じてしまったからかも知れません。
雪国に戻ったらこの辺のコト深く掘り下げて考えたいと思います。
僕たちは今、共に熱い気持ちを持って、
「焦らずに急がなくてはいけません」そう感じました。
開口健さんの言葉を思い出しました。
「ゆうゆうとして、急げ」
だったと思います。
今日再び海を渡って北の大地に戻らなければならない日になりました。
目に見える形の復興作業に参加することが少なくなかった僕。
けして、その様な汗をかく復興作業が無くなった訳では有りません。
瓦礫を取り除いたり、地域の人の笑顔が増えます様にと、公園を作ったり、いつまでも忘れられている入り江の中の瓦礫を取り除いたりと、まだまだやることは有ります。
目に見えぬコトへ携わる大切さを僕自身感じてしまったからかも知れません。
雪国に戻ったらこの辺のコト深く掘り下げて考えたいと思います。
僕たちは今、共に熱い気持ちを持って、
「焦らずに急がなくてはいけません」そう感じました。
開口健さんの言葉を思い出しました。
「ゆうゆうとして、急げ」
だったと思います。
2011年12月8日木曜日
2011年12月7日水曜日
2011年12月7日 がってんレポート
12月7日レポート
今日は石巻で活動する団体を対象にした、
災害ボランティアスキルアップ講習会、
『DRT2011in宮城県牡鹿半島』の講習の日です。
災害が発生した初動には特に有効な技術の数々です。
必要最小限の道具と被災現場に落ちている使えそうな品々を組み合わせます。
直接人を助ける
倒壊家屋への進路の確保と救出
避難路を確保する
避難所や非難家屋の安全と環境確保 などは、
ここ石巻の3月や4月初旬の頃はこのような作業の連続でした。
普段このような機械は工事現場などでしか見かけませんが、
初めて手にする女性も男性も真剣に向き合って取り扱を覚え、
トレーニングをしました。
この被災地でボランティア活動をしていると、
このような機械を扱う必要が身を持って判っているので真剣です。
地域でもしも災害が起こって地域の人たちしか居ない場合は、
ここまでの機械を用意しなくても、
『車のジャッキ・かけや・ロープ・ノコギリやチャンソー』を用意しておくと、
とても有効です。
このような機械を使うのは特に災害が発生した初動の1~3ヶ月間が特に多く使います。
僕も初動ではほとんどこような機械をフルに使っていました。
とても高価な機械ですが、
次の災害に備えこのような機械を用意できたらいいなと感じました。
この日本に暮らすと言うことは、
常に『自然災害と向き合って暮らす』
事だと言うことを、
けして忘れてはいけないのかも知れません。
何故ならば、
自然は常に動いているからです。
自然の力には人は叶わないからです。
今日は石巻で活動する団体を対象にした、
災害ボランティアスキルアップ講習会、
『DRT2011in宮城県牡鹿半島』の講習の日です。
災害が発生した初動には特に有効な技術の数々です。
必要最小限の道具と被災現場に落ちている使えそうな品々を組み合わせます。
直接人を助ける
倒壊家屋への進路の確保と救出
避難路を確保する
避難所や非難家屋の安全と環境確保 などは、
ここ石巻の3月や4月初旬の頃はこのような作業の連続でした。
普段このような機械は工事現場などでしか見かけませんが、
初めて手にする女性も男性も真剣に向き合って取り扱を覚え、
トレーニングをしました。
この被災地でボランティア活動をしていると、
このような機械を扱う必要が身を持って判っているので真剣です。
地域でもしも災害が起こって地域の人たちしか居ない場合は、
ここまでの機械を用意しなくても、
『車のジャッキ・かけや・ロープ・ノコギリやチャンソー』を用意しておくと、
とても有効です。
このような機械を使うのは特に災害が発生した初動の1~3ヶ月間が特に多く使います。
僕も初動ではほとんどこような機械をフルに使っていました。
とても高価な機械ですが、
次の災害に備えこのような機械を用意できたらいいなと感じました。
この日本に暮らすと言うことは、
常に『自然災害と向き合って暮らす』
事だと言うことを、
けして忘れてはいけないのかも知れません。
何故ならば、
自然は常に動いているからです。
自然の力には人は叶わないからです。
2011年12月5日月曜日
2011年12月5日 がってんレポート
12月5日レポート
昨夜は地元方々と全国いろいろなところから来たボランティアと沢山の想いを語り合いました。
金山町のこと、放射能のこと、避難生活のこと、移住のこと、原発内での作業のこと、内部被爆のこと、子供のこと、家族のこと、地域のこと・・・etc
今回のプロジェクトで『見たこと、聞いたこと、感じたこと』をメモしたいと思います。
◎私も含め子供二人ともホールボディーカウンターで内部被曝の状況を測定したら、既に内部被曝していました。
◎暮らしの場は家の中でも2~3マイクロシーベルトです。私たちもしかしたら麻痺してしまっているのかも・・・
◎家の庭は90マイクロシーベルト?あります。必死です。除染に庭の土剥ぎの連続です。30まで下がりました。でもなかなかそれ以上下がらない・・・
◎何度も何度も移住を考えました。でも、手に職も無いし、夫婦間で意見の食い違いが出て、まだ吹っ切れない・・・
◎子供が小学校に上がるタイミングで引っ越したい、でも福島から離れられない。
◎震災から数週間、水も電気も食べ物も何も無かった。原発が爆発したことも当時は知らなかった。今思えば子供と何度も水汲みに行ったり、食べ物を別けてもらうためにならんでいたあの時がもっとも酷く被爆したかもしれない。川の水も汲んで使っていたし。もう一体どうしたら・・・
◎原発の中で作業しています。誰かがやらないといけないのです。私は妻も子供も津波で失いました。
私は今、私の出来る事を必死でやっています。
◎私は25歳、知らずに暮らしていた数週間?家周りは80マイクロシーベルトだった。慌てて実家に戻ったのだけれど、計ってみたら、0.5~0.6です。最近友だちとよく話す事があります。『もう私たちは子供生むことが出来ないね』・・・
この4日間に交わしあった言葉の端々ですが、
少しだけここに記しておきます。
『もう私たちは子供生むことが出来ないね』・・・25歳の女性の声が今も耳に残ってます。
私たちは今一体何処へ向かっているのでしょう。
昨夜は地元方々と全国いろいろなところから来たボランティアと沢山の想いを語り合いました。
金山町のこと、放射能のこと、避難生活のこと、移住のこと、原発内での作業のこと、内部被爆のこと、子供のこと、家族のこと、地域のこと・・・etc
今回のプロジェクトで『見たこと、聞いたこと、感じたこと』をメモしたいと思います。
◎私も含め子供二人ともホールボディーカウンターで内部被曝の状況を測定したら、既に内部被曝していました。
◎暮らしの場は家の中でも2~3マイクロシーベルトです。私たちもしかしたら麻痺してしまっているのかも・・・
◎家の庭は90マイクロシーベルト?あります。必死です。除染に庭の土剥ぎの連続です。30まで下がりました。でもなかなかそれ以上下がらない・・・
◎何度も何度も移住を考えました。でも、手に職も無いし、夫婦間で意見の食い違いが出て、まだ吹っ切れない・・・
◎子供が小学校に上がるタイミングで引っ越したい、でも福島から離れられない。
◎震災から数週間、水も電気も食べ物も何も無かった。原発が爆発したことも当時は知らなかった。今思えば子供と何度も水汲みに行ったり、食べ物を別けてもらうためにならんでいたあの時がもっとも酷く被爆したかもしれない。川の水も汲んで使っていたし。もう一体どうしたら・・・
◎原発の中で作業しています。誰かがやらないといけないのです。私は妻も子供も津波で失いました。
私は今、私の出来る事を必死でやっています。
◎私は25歳、知らずに暮らしていた数週間?家周りは80マイクロシーベルトだった。慌てて実家に戻ったのだけれど、計ってみたら、0.5~0.6です。最近友だちとよく話す事があります。『もう私たちは子供生むことが出来ないね』・・・
この4日間に交わしあった言葉の端々ですが、
少しだけここに記しておきます。
『もう私たちは子供生むことが出来ないね』・・・25歳の女性の声が今も耳に残ってます。
私たちは今一体何処へ向かっているのでしょう。
登録:
投稿 (Atom)





















