2011年11月30日水曜日

2011年11月30日 がってんレポート

11月30日レポート

今日は朝から『チェーンソー等を使っての塩害樹木の伐採講習』を、
DRT-JAPANhttp://blog.canpan.info/coco/archive/2237が開催してくれました。


塩害と言っても津波の波がかぶり立ち枯れた木々です。
この広い東北の沿岸の植林地はきっと何処も同じなのでしょうね。

初めてチェンソーを持つ女子も男子もおじさんも、
皆真剣に木々と向き合った1日でした。



日本の多くの水害は、
戦後に植えた植林地の影響が大きいだそうです。

僕も和歌山の水害で目の当たりにしたのですが、
手入れが放棄されたような状態の植林の木々は根の張りも弱いのか、
根ごと流され橋に引っかかり流れをせき止める状態になっていました。

せき止められた流れは暴れ市街地に流れこんで、
被害をさらに大きくしていたように感じます。

水が引いた後も、
2次災害を引き起こすケースもあるので早く木々を取り除かないといけません。

塩害の植林地で実践の講習は、
多くの事を考えさせられました。

自然災害の多くは人災多いのかも知れません。

暮らし・仕事・生活だけを優先にしていたりしませんか。
今やっているコトは、未来に繋がりますか。

2011年11月29日火曜日

2011年11月29日 がってんレポート

11月29日レポート

石巻に着きました。
とてもきれいな夕日の下のベンチでパソコンを打ってます。
北海道から来ると暖かいですね。

どの位大地が沈下したのでしょうか。
震災前は見えていた
石巻由来の「巻き石」が北上川の水面の下で見え隠れしています。

建設車両がしきりに行き来しています。
不通だった橋も今は通れるようになっていますし、
津波で倒壊した建物も徐々に取り除かれ更地になって来ています。

忙しそうに歩く人や自転車が走っており、
大きな街である雰囲気が出ています。

午後に石巻に入ったので、
役所で車両の手続きをしたり、
避難所だった学校をいくつか廻りました。
避難所は閉鎖しているのは知ってはいるのですが、
誰か知っている人歩いて居ないかなって思ったからです。



誰も居ない学校と言う名の避難所は静かに閉ざされていました。
避難所の周りにあった家はまだあの時のまま・・・
壊すのを待っているのか、
それとも再びこれから直して暮らすのかは解らないのですが、
どちらにしても、
この住宅地には人影も無く静かに静まりかえったあの時のままです。



復興住宅が出来ていない今、
仮設住宅に居るのだろうなぁ
市内にある仮設住宅に引っ越したんだろうなきっと・・・

明日は早いです。
牡鹿半島の塩害にあった木々を手入れをしに行って来ます。

2011年11月27日日曜日

2011年11月27日 がってんレポート

11月27日レポート

あの日のままの靴があった・・・(だらしない)
あの日の靴の汚れを落とし、
明日、再び3月11日に涙の流れた地に向かいます。



沢山の方々にご寄付をいただいたり、
物資を提供してくれたりしたおかげで、
こうやって私は何度も被災地に足を運ぶ事が出来ます。
私フットワーク軽い方ですが、
皆さまのご支援があってこそだと言うことを忘れていません。

(3/15の雪の中での活動を思いだします)

着替えを少々と寝袋、
食料も水もテントも積みこんだ。

内地に滞在中何処で何かが起こっても、
対応できるように、
チェンソーも積み込んだし、
発電機も丸のノコ、バールに鏨、
そしてワイヤーやら、混合オイル・・・etc。
必要な機材を積み込みました。

家を出てから30時間程の移動だけれど、
再び現地へ行ってきます。

枯れてしまうほどの涙の先に、
笑顔が見たいから。