2012年3月27日火曜日

2012年3月27日 がってんレポート

第八章:『道』

3月27日レポート

津軽海峡を越えて北国に帰ってきました。

津波で破壊された石巻の街並みは知らないのですが、
夜になると居酒屋さんが開いていたり、
やきとり屋さんが煙を上げていたり、
賑わいを感じます。

昨年の今ごろの商店街と言えば、
流れ着いた瓦礫と車がうず高く積みあがり、
道行く人々は肩をすぼめ何かを探し、
以前に賑わいがあった事さえ忘れさせる風景でした。

一人一人の一歩が街並みをきれいにしました。


僕がボランティアとして目指したものは、
町に暮らす人々の目指した未来のお手伝いになりましたでしょうか。

(photo関川氏)

道はまだ半ばだと感じています。
僕はただみんなの生きる背中に心を動かされ、
被災された多くの人々の笑顔に似た喜びが見たいです。

未来を信じて歩く人の、
道を切り開くお手伝いがしたいです。

私はただそれだけなのかも知れません。


勇気と優しさを教わったこの一年でした。


2012年3月25日日曜日

2012年3月25日 がってんレポート

3月25日レポート
東松島の民宿を後にして、
門脇を通り日和山に行きました。
昨日は住宅街の仮設住宅内に一日いたので、
津波で破壊された町並みを肉眼で始めてみた人がほとんどでした。
日和山から見える破壊された町並みは、
仮設に暮らすおばあちゃん・おじいさんたちが暮らしてた町です。
この中を生き抜いてきたのです。


日和山から一路、
湊中学校、湊小学校を通り雄勝地区へ向かいました。
雄勝地区は4,000人住んでいた町ですが、
全ては津波で破壊され今では数百人になってしまいましたが、
暮らしを取り戻す為に残った人々で前に前にと進む気持ちが強さをとても感じました。


今日は雄勝の町で復興市が開催されていました。
雄勝は硯の町です。
愛媛から来た高校生『書道ガールズ』が大きな紙に力強く書いてくれました。
彼女たちが彼女たちの出来る復興へのエールを力強くやってくれて、
不覚にも僕の胸にもググッと来てしまいました。




無心で字を書く彼女たち
彼女たちの出来る最大の復興のエールは、
多くの人々の心に強く残った事と思います。

2012年3月24日土曜日

2012年3月24日 がってんレポート

3月24日、25日レポート

24日、昨夜から降った雪も朝にはやみましたが、
雪はそれなりに積り、
足元の悪い状態での『サンライス元気村』プロジェクトのスタートとなりました。


弟子屈の町で集めたお米を、
東京や日本各地から探検隊を通してつながった33名の仲間と配れるのは、
ありがたい事です。






この一年、
こんな私がボランティアなんて出来るんだろうか
ボランティアって敷居が高く感じる
気にはなっていたのだけれど・・・
今日その一歩を始めて踏み出して事とと思います。
テレビでラジオで知っていいた風景の中で、
生きている人々とリアルに向き合った一日でした。

一年が過ぎ今、
東北の現地に出向きボランティアをする事はとても勇気がいることと思います。
そこぬけに明るいお年寄り、
塞ぎ込むお年寄り、
生きる事に手が付かなくなっているお年寄り・・・
3キロのお米を通して自分の全てで向き合った事と思います。

共にお米を配った仲間の一人は、
とても元気と勇気を貰ったと帰り際に聞きました。

晩はみんなと共に東松島の民宿に泊まりました。
沢山の思いから
地震のこと
津波のこと
零れ落ちそうなぐらいに話しました。

2012年3月23日金曜日

2012年3月23日 がってんレポート

3月23日レポート

明日は『サンライス元気村fromてしかが』にて、
町の多くの人が関わって袋詰めしていただいたお米を仮設住宅へお届けに行く日です。
『サンライス元気村プロジェクトfromてしかが』
http://3rice-teshikaga.jimdo.com/

私と共に仮設住宅に暮らす一人暮らしのお年寄り宅へお届けをしてくれるのは、
弟子屈町を流れる釧路川を共にカヌーで旅する仲間、
旅の会社『地球探検隊』
http://www.expl.co.jp/shinsai/201203/index.html

皆さんからお預かりした気持ちを共にお届けしてきますね。

僕は思うのです。
世界中、日本中を旅すると、
各地で出会った自然の風景や暮らし、
人々の温もりに触れて、
沢山の勇気や気付きに癒されます。

旅で分けていただいた、
心地よい気持ちを今、
必要としている地域へ
共に注ぎましょう。

2012年3月22日木曜日

2012年3月22日 がってんレポート

3月22日レポート

今日は朝から一路福島市へ移動しました。

(誰も居ない公園はとても寂しい風景です)

市内はなんら変わらぬ風景です。
学生は普通の制服で楽しげに歩き、
犬の散歩に歩く人々。
僕たちの持つ3台の線量計はこの風景の中では見えない放射能物質をしっかりと捉え、
数字として表しています。
0・2μSv・0.5μSv・1.7μSv・2.1μSv・・・




北海道から行ったせいでしょうか。
上がり続ける数字に恐怖に似た怖さを感じます。


慣れたのでしょうか・・・
ただ僕にはその表情を読み取る事が出来なかったのでしょうか。
すれ違う人々は、どうしようもないやるせない気持ちを胸に
押しつぶされないように必死なのかも知れません。



押しつぶされないように必死に生きる事に向かう女性が2人います。

彼女たちは自分の体を気遣い、
地元の人々の体や生き方を気遣い、
今私たちに何が出来るかを真剣に考えています。

若い彼女たちはこれから沢山の迷惑をかけながら、
人生の道を切り開いていく事と思います。

その時はきっと多くの人の助けが必要です。

今私たちは、
押しつぶされないように必死に出口を見つけ出そうとしている小さな声を、
聞き落としてはいけないと思います。

2012年3月21日水曜日

2012年3月21日 がってんレポート

3月21日レポート

午後に石巻に着きました。
とても風が強く雪の無い大地から吹き上がる埃がすごいです。
風の強い日はマスクをした方がいいです。

昨日はお彼岸でした。
家のあった所や路地などにお花が置いてあります。


牡鹿の浜ではワカメ漁の最盛期だそうです。
あの漁村のおじさんに、
この漁村のおじいちゃんやおばあちゃんの元に早く足を運びたいなと思います。
漁村に活気が戻ってきたのかなぁ。
なんだかとてもうれしいです。

(2011・5月の漁村から)

そうそう写真は取れなかったのですが、
草木も春の色が入っていました。

新しい季節と共に、
自然も人も一歩一歩、
歩み始めている感じが少し感じました。

2012年3月20日火曜日

2012年3月20日 がってんレポート

震災から1年が過ぎました。
まだまだ雪の残る北海道の東の端にある小さな町弟子屈町で、沢山の方々がメセージ付きのお米を用意してくれました。
北国の日常では東北沿岸の今の状況を想像するのは難しいけれど、このお米には一人一人の思いが詰まっています。
一人でも多くの方々が自分の道を歩んで行けますように、思いを込めて今海を渡ってお届けしてきます。


2012年3月11日日曜日

3月11日に寄せて がってん

3月11日

一本の鍬を手に持ち、
まだ雪の残る風景の中、
雪できしんだ温室ハウスの中で野良作業。

少し汗が出ます。

とても長い時間に感じたこの一年。

いろいろな葛藤と共に過ごした日々でもありました。

一本の鍬を持ち、
一本のパドルを手に、
一本の鋸を使い、
一本のスコップで掘った家の基礎・・・

17年前に家内と2人降り立ったこの荒野。
一本から始めた、あの日を忘れない。

尊い魂が、安らかに眠れますように。
尊い命を大切にする環境を創っていけますように。

3.11、けして忘れない。
今日は家族と共に過ごしたいと思います。

2012年3月5日月曜日

2012年3月5日 がってんレポート

第七章『動』

3月5日レポート

深く雪の残る屈斜路湖・釧路川の畔に戻ってきました。

残念ですが、通しで現地に居る事が出来ない私です。
しかしそれもこれも今の私に出来る全てです。

あの災害から1年が経とうとしています。
刻々と変化するフェイズに人と人の関わりの意味を深く感じます。

(行き場の無い車)

被災者と否被災者、ボランティアをする側される側と言う関係だけと言う事ではなく、
共にこの地球の上に生きる人間として、
日本と言う住所に暮らす人として、
今新しい歩みを感じた今回の渡航でした。


人は一人では生きて行けない。
歩む速度が問題ではないと思います。
たとえ今苦しくても、春になれば雪が溶け、
雫が集まり流れきらめく春が来る事を東北の人々は知っている。
一滴、この一滴がよき流れを作る、
だからこそ知恵を出し合い、
勇気を搾り出し前に進む。

戸惑い滞ってはいられない。
そう感じました。


地域の人、多くのボランティア、自衛隊が、
『生きる』為に、行きかわした場所。

再び3月20日に現地へ向かいます。

2012年3月4日日曜日

2012年3月1日~4日 がってんレポート

3月1日~3月4日 レポート

気温差でしょうか少し体調を壊していました。

でものんびりしている訳にも行かずです。

今月の末に企画しているサンライス元気村のプロジェクトの打ち合わせに東京へも行ってました。
地球探検隊 東北復興支援バス「お米とメッセージに元気をのせて石巻へ」
http://www.expl.co.jp/shinsai/201203/index.html

戻って来てからは、大川小の合同慰霊祭の式典へお手伝いに。
地元の子供たちの熱い想いに胸が痛かった。



命の重さを今の政治家の方々よりも知っている彼ら彼女らは、
優しい大人になる事でしょう。

(左:広島の原爆の残り火・右:阪神淡路大震災の残り火)

私たちは今、
全ての命の重さを理解し、
共に優しさに満ち溢れた世界を築かなくてはなりません。
それが出来るのは、今の大人なんだと思うのです。
一旦私は津軽海峡を渡ります。
そしてまた月末までにここに戻ってきます。

よく晴れた北上川の畔より
がってんでした。