2011年4月16日土曜日

前略・・・北海道より

<被災地から離れた地で出来ること>

石巻から津軽海峡を渡り北海道に。
道中は雪模様でした。

写真:帰路の道中


私はこの一ヶ月弱、被災地でドロのかき出し作業を共にしながら、
大きな鍋で共に炊き出しをつくりながら、
3月11日の出来事を共に汗を流した時間の中で、
少しずつ聞くことが出来ました。

着のみ着のままで津波を逃れ、
壊れた家屋や木々の上で震えながら潮が止まるのじっと待って居た事を。

少しでも声のする方へ・・・
小さな明かりを目指して・・・
意を決して泳いでたどり着いたこと。

3日後にようやく水が引いて変わり果てた町並みに愕然としたこと。

写真:壊れた町並み


そして今もなお多くの人々が、
復興とは遠い暮らしの中に身を寄せ合って時を過ごしております。

震災から一ヶ月弱。
支援物資としての必要な品々は徐々にですが浸透している気がします。

しかし圧倒的に足らないのが資金です。

変わり果てた町並みは、青森から千葉までの太平洋沿岸のほとんどの地域だと思います。
破壊されたままの家屋やライフライン。
着のみ着のままで逃げた人々は家屋も車も仕事も全てを失いました。



仕事も失い、家も失い、収入を得る方法を絶たれた中で所持金も徐々に減っていく。

今私たちにできることはなんだろう。
今被災地で暮らす人へ力になれることはなんだろう。
被災地から離れたこの場所で私たちの出来ることはなんだろう。

そんな想いの中で『ふるさと義援金』が自分が選んだ支援したい市町村に、
ダイレクトに義援金を届けることが出来る事を知りました。

◎支援したい被災地の県や市町村を自分で選ぶことが出来ます。
→ 地方公共団体リストはこちら

◎所得税と個人住民税の控除が受けられます。
→ ふるさと義援金とは

※より詳しい情報はぜひこちらをご覧くだい!
→ http://www.peace2001.org/2011/ [ch0]

壊れた町並み
立ち直る為に今、資金が必要です。





がってん

2011年4月15日金曜日

2011年4月15日 がってんより、皆さまへ

多くの皆さまから復興支援と言う名の私のボランティア活動を、物資面や資金面などでサポートして下さいまして、ありがとうございます。
また多くの激励メールなどいただいているのに、
お返事も書かずにごめんなさい。

足らない機材を現地まで届けに来てくれたSさま、
本当に感謝です。

足らない食材を供給して下さった方々ありがとうございます。

皆さまからいただいた支援は、
私の体を通して「1日、1000人近くの炊き出し」となったり、「ひとすくいのドロ出し」となって被災地へ注がれました。
何度となく、涙をする場面に遭遇しました。
そのたびに泣いている時間はないと言い聞かせ、前に進みましたが正直、涙は止まりませんでした。
壊れた瓦礫をどかしていると隣の家がドロに埋まっているのが見えます。
隣りの家のドロにも早く行ってあげたいと思いながら瓦礫をどかしていても、後ろに目をやればお年寄りが一人で倒れたタンスからドロにまみれた服を取り出しています。
何度となく心が折れそうになりました。
それでも私たちボランティアは、生きることを選択した者どおし、供に未来に向かうために「ひとすくいづつ」「一本づつ」ドロを、瓦礫を、どかし続けました。
目の前に手助けが必要な人が居る。
私たちに出来るコトがある。
見過ごすことが出来なかった。
見て見ないふりが出来なかった。

一旦津軽海峡を超えます。
第二章「義」から第三章へと、共に未来へ進みたいと思います。

2011年4月14日木曜日

2011年4月14日 がってんレポート

4月14日

今日も一日ありがとう。

少年たちの夢が破れたのではない。『もう一度立ち上がってくれっ!』。そんな思いで部室のドロを出しました。



ドロに埋もれた、この一ヶ月。
例えドロに埋まっても、春に向って歩んでいる草木を見ると嬉しいです。


壊れた家の廃材のそばに流れ着いていた・・・『はやく、はやく』


今日も私たちは、気持ちを入れて一心不乱に。


膝をつけ、床を磨き、目地を磨く。


東京の女子大生もドロかきボランティアをしている。つかの間の休憩。


掃除の前


世界中の友と共に磨きました。


2011年4月13日水曜日

2011年4月13日 がってんレポート

4月13日

時間と言う時の流れに関係なく、
一個一個、一杯一杯、一つ一つ、
一瞬一瞬では確認できないほどの速度かも知れませんが、
人の力で確実に未来に進んでいるように感じます。

今日は自転車で走る子供たちに出会いました。
久しぶりに見た楽しな光景でした。

まだスーツ姿のサラリーマンには出会っていませんが、
カワイイ服を着た高校生ぐらいの女の子たちが、
楽しそうにおしゃべりをしながら歩いていました。

まだまだ、いえいえ、少しだけ、
埃っぽかったり、ドロがあったり、家が崩れていたりしますが、
人の力で確実に未来に進んでいるように感じます。






2011年4月12日火曜日

2011年4月12日 がってんレポート

4月12日

町の人と一緒に作業をしたり顔見知りになるに連れて、
少しずつですが3月11日の日の出来事を耳にする機会があります。

『学校が休みだったのが幸いです。
もしもあの時学校の授業があったら、
はたして生徒を守ってやる事が出来たのだろうか』

これから先の話もよく聞くようになりました。

『何もなくなった今、全てがリセットされた気分です。
復興と言うけれど、地震前の暮らしに戻る事を目指していいのか解りません』

壊れたスティールデスクを先生と運びだしながら、
どちらともなく話を始めました。

【私たちは今、何処に向って進んでいるのでしょうか】

写真:
壊れた高校の備品の運び出しの1日



2011年4月11日月曜日

2011年4月11日 がってんレポート

4月11日

沢山のボランティアさんと共に街中をきれいにしました。
沢山の家電製品や家具などが津波の流れによって流れ付いて来ていました。
とても沢山の使えなくなった家庭用品を、
何回も何回もトラックに乗せて捨てに行きました。
中には『きっと大切なものなんだろうなぁ』と思えるものとも、
ドロの中で出会うコトもあります。
『持ち主はこれを探しているのかもなぁ』とか考えることもあります。

僕自身、沢山の作業に呑まれるコトもあります。
大切なことを見失わないように、
明日は作業をしたいと思います。

写真:
街中をきれいにしました。沢山の思い出がこの中に・・・




2011年4月10日日曜日

2011年4月10日 がってんレポート

4月10日

見たものはなあに
聞いたコトはなあに
感じたコトはなあに

燃えた車の山でしか遊び場の無い状態
おばあさんが、植木の葉にこびり付いたゴミを一つ一つ取っている
保育園や幼稚園、学校などがヘドロに埋まっている状態

石巻の友と共に進め!

これで良いわけはないよっ
絶対に。


信じられるかい?今ここが子供の遊び場だって言うこと。




おじぞうさん・・・お願いしますよ。


2011年4月9日土曜日

2011年4月9日 がってんレポート

4月9日

ここ石巻は港の町です。
あまり詳しくは知らないのですが、
魚を扱う魚の加工場などが沢山あるようです。

漁師さんが海と向き合った日々の証とでもいいましょうか、
多くの魚類が市街地に流れ着いています。

魚類としても、人としても、
まさかこのようになると予想してはいなかったと思ってしまいます。

数日思うことがあります。
人の暮らしと自然との関係に間違があったのかも知れないと思います。
思うのです。
自然=地球環境より、
あまりにも人の暮らしを優先しすぎたのかも知れません。

写真:
イカの加工場が津波によって破壊され、冷凍庫にあった全てのイカが民家に流れ着きました。
ボランティアの手で室内の沢山のイカを拾い上げ片付け初めて3日目です。




2011年4月8日金曜日

2011年4月8日 がってんレポート

4月8日

昨夜は大きな余震がありました。
突き上げるような衝撃でした。

あのおばあちゃん、
あの子、
あそこの家族・・・
『大丈夫だろうか』と、
暗がりの中頭をよぎりました。

暖かな気温の朝を迎えましたが、
昨夜の余震で現場の状況の確認が出来ていない事と、
ボランティアの安全を考え、
今日一日は活動自粛の通達が朝届きました。

この数週間に出会った、
『大きなモノ』の写真を載せておきたいと思います。
水の力はやはりとても強かったコトがわかります。





多くの被災者の方とお話をするのですが、
一番最初に開通を望むライフラインは、
水だそうです。
『水』はいろいろな意味で大きいのですね。

2011年4月7日木曜日

2011年4月7日 がってんレポート

4月7日

曇っていた=困っている事が、
一人また一人と集まった人の手で、
困っていることが解決していく。

全てが解決したわけではないのだろうけれど、
ボランティアの方々と一緒に、一生懸命な作業・汗・埃にまみれになると、
少しずつ、少しずつ困っていたことが解けたような、
微笑みの顔が覗いているように感じます。


彼は絵を書きます。額に汗をにじませながらヘドロをかき出します。

いつも絵を描いている画家さんが、
額に汗をかいてドロを黙々とかいている。

普段はカメラマンをしているのだけれど、
一生懸命、鍋をかき回す。

サラリーマンがおばあさんの家の沢山の水を吸った畳を上げている。

普段は問屋さんの人が、
物を必要としている人にニーズを聞いて、
物資を配布している。

埃だらけのこの町で、
お互いが人間として本気で向き合うから、
少しずつだけれど笑顔が生まれてくるのだと感じました。

(写真:手付かずの地域に入る)







<追記>


4月8日 1:42AM
「大きく揺れた。 眠れぬ夜になりそう…」
と、写真が送られてきました。
釧路川の畔も、長い揺れが続きました。長引く避難生活に追い討ちをかけるように、深夜の地震と津波警報。皆さんの体調が心配です。

レポート更新が遅くなりごめんなさい。


2011年4月6日水曜日

2011年4月6日 がってんレポート

4月6日

ありがとうってなんですか。

地震が来たあと用務員さんは、
津波によって流されたようです。

学校の正面の時計は2時45分で止まっています。
体育館の時計は3時50分で時が止まっています。

この間、1時間5分・・・

用務員さんのご家族に、
『ありがとうございます・・・きれいにしてくれて』
教頭先生に、
『これで・・・ありがとう』

多くの人の力で、
思いで、
きれいにする事ができました。


地震の時



玄関


玄関もキレイにしてくれました。





ありがとうってなんですか。

2011年4月5日火曜日

2011年4月5日 がってんレポート

4月5日

写真を撮るのを忘れましたが、
ここ石巻も木々に草花に花のつぼみが付き始めたり、
咲き始めたりしています。

人々の中にも季節と同じように、
新しいつぼみが芽吹いて来ているように、
最近、僕は感じます。

『人間も素晴らしい』と感じます。
先日出会った夫婦は、
2人の子供がまだ見つかっていないと言っていました。
避難所の中では比較的若い方だそうです。

僕たちボランティアがお手伝いできる部分と、
コミュニティーの関係の中でクリアーしていく部分があります。
夫婦は率先してコミュニティーの関係が必要な部分を、
とても一生懸命やっておられました。

避難所ではさまざまな課題や、
やる事があります。
僕たちボランティアは、
いつもこのような方の背中を見ながら、
『生きる』意味を学ばせていただいております。

今日はここから始まりました。


沢山のボランティアが一すくい・一すくい、前に前に進みます。


そしてこうなりました。


徐々にガレキで外はいっぱいになって行きます。


今日は沢山のボランティアが参加しました。全員ドロレンジャーです