2013年6月17日月曜日

2013年6月6日 がってんレポート

第十三章:彩

6月6日レポート
今回の渡航のほとんどは、
東日本大震災の震源地にもっとも近い場所の一つ、
牡鹿半島の沖合にある小さな島“網地島”滞在していました。
2度目の滞在です。

震災当時、津波の影響などで40棟ほどの家や建物に被害があったそうですが、
津波などによる死者は居なかった島です。

この話は島に初めて行く前から聞いていました。

島民の平均年齢が70代後半、
津波の波が島を襲ったわけですが、
島民どうし助け合い島の高い地位にある公民館に避難したコトと思います。
急な坂を上り、若い人であればすぐそばなわけですが、
お年寄りにとってはとても大変なことだったと思います。


網地島の暮らし、そしてそこに広がる海や森。
島の方々と地元のNPOスマイルシードさんが共同で、
この夏の終わりに『ワンピースキャンプin網地島』を開催する事となりました。

私はこのキャンプのお手伝いをするコトに。
参加する子供たちの多くは、
あの日・あの時、
自然の猛威に凍りつき、
沢山の涙と怖さを体感した。
水が動き、
山が動き、
家族ともどもいつもの“普通”が、
一瞬で消え去った。

それでも私たちはこの地球の上で生きている。
海を、
水を、
大地を、
嫌っては生きていけない・・・。

写真: 2012年 福島での出会い

島と言うだけで冒険心がワクワクしてしまうのですが、
島の暮らしと色彩を見渡すと、
この場には自然と共に生きる世界があるコト、
多くの体験が深い学びとなるコト、
彩は暖かさとなって、
優しさと柔らかさが湧き上がるよなぁ…って感じています。

写真: 2011年 石巻での出会い

様々な地域で被災と言う経験をした子供たち。
悲しい涙の時期もありました。
でもね、被災したコトが、深い学びとなっています。

写真: 2011年 福島の家族と釧路川での出会い

その子供たちへ今、とても大切に想うコト。
自然の『色・形・音』…
人の『心に、動きに、想いに』影響があると思うのです。

少しでも、
コドモタチや若い人の『心に、動きに、想い』への力になれたらと思います。

写真: 2011年 那智勝浦で

私は、解ったふりの被災かもしれませんが、
この北海道の原野で暮らした25年近くの月日、
スコップを片手に原野の開墾から始まりました。

自然と共に暮らした経験を元に、
子供たち、そして学生と共に海を島を大地を駆け廻りたいと思います。

応援の程よろしくお願いします。
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2013年6月14日金曜日

2013年6月2日~5日 がってんレポート

6月2日~6月5日レポート

今おばあちゃんは島を離れ市内の娘さんの所で暮らしています。
震災以前から足が悪く、震災当日は市内の病院に居たそうです。

家は港のそばに建っており1階は津波に浸かったそうですが、
子供たちや家族が島に集える場として使えるように、
床はしっかりと張り替えられていつでも使える状態でした。

足腰もすっかり弱り戸袋の上や神棚、
押入れなどなかなか手の届かない所はずいぶんと前から、
時間が止まったままでした。
『もしも迷惑でなければ片づけていい?』

申し訳なさそうにしておりましたが、
これも何かのご縁ですからお片づけを共に始めました。

『あ~これはあの時のだわぁ・・・』いろいろな思い出が出てきます。
波に被ったままの物や忘れていたものなど。


その片付けを道行く島のお年寄りが眺め、
我が家もお願いしたいなぁとつぶやいておりました。
この網地島の島民の平均年齢は70代後半です。
未だ家の中が片付かない家が点在しているのだと知りました。


おばあちゃんが片づけの途中に思い出したように、
まだ足腰が元気だったころの畑に行こうと言うことになりまた。


足が悪くなり10年ほど荒らしたとのコトですが、
すでに昔歩いていた道さえも、
森や薮に戻り始めており畑までの道のりさえ見つからない状態です。
薮の境目は津波で運ばれた品々が未だ散乱しており、
薮に近づけないのだけれど『確かここを上がると桜の木があって・・・』



人々の暮らした痕跡は10年もしないで、
いつしか薮となり森となるのだと感じました。

2013年6月2日日曜日

2013年6月2日 がってんレポート

6月2日レポート

震源地にもっとも近い島の一つ網地島に来ています。
3月以来ですので3か月ぶりでしょうか。
石巻市街からフェリーで1時間ちょっとの所にある島なのですが、
牡鹿半島の突端からですと20分ほどで渡れる島です。

『海がどこまでも青く、日差しが柔らかい』久しぶりの渡航で島に降りた時に感じました。
今回の滞在日程が限られているのですが、
いろいろな機材やらが多いので沢山の荷物をフェリーに乗せての渡航です。
機材の多さには少し理由があります。
秋にこの島で大学生とコドモタチと共にキャンププログラムを開催する為の下見と準備だからです。

大学生やコドモタチとキャンプするにあたり欠かすことの出来ない作業があります。




島に着いてまずやった事は島内の要所要所で放射能の測定です。
放射能の影響は数字となって機械を通して出るのですが、
場所によって風向きによってかなり違いが出ています。
なかなか私たち素人が計測しているので正確かは解りませんが、
この作業をやて発表していく事はキャンプをやる中で大事なことだと思っています。
今後この数字は、全て計測が終わってから発表して行こうと思っています。




一周約18キロの島ですのでとても小さく感じます。
島民の人数は実際の所は解りませんが400人ぐらいとも言われていますが、
島を移動していてもあまり人と会うことがありません。
スーパーや信号機、自動販売機などはありませんので、
聞こえてくる音は、風の吹く音と、
時より歩く猫の『みゃぁ~』と言う声が聞こえるぐらいです。
島の方の話ですと島民の平均年齢は70代後半だそうです。


これから島の方々とのんびりお話してきます。