2011年9月5日月曜日

2011年9月5日 がってんレポート

9月5日レポート

小さな港に暮らしていた家族は、
津波の後に大きな街へ被災者として引っ越ていた。

子供たち夫婦が言ったそうです。
『もう一度、あそこで暮らす』

この6ヶ月大きな街で暮らしてみて、
生き方として、
生き様として、
何処か何か違かったのかも知れません。

『もう一回津波が来たらめげるかもな、その時は都会で暮らすさぁ』

都会が安全なのか、
都会は安心できる暮らしがあるのか。
僕も北海道の原野暮らしが長くなったせいかあまり都会の事は解りません。

9世帯が暮らすこの小さな港まちに、
一世帯、また一世帯と戻って来ているそうです。

戻る意志にあわせるように、
必要な世帯数の仮設住宅が急ピッチで建ち始めて居ました。


もしかしたら今までも各ご家庭でも作っていたのかも知れません。
小さな畑が一つまた一つとボランティアの手で作られています。



この畑は、今までと違う新しい暮らしの楽しみになったらいいなぁと、
僕は思います。


『生き方を決めたときに、新しい種を撒く』
そんなお手伝いが出来る事は、とても嬉しいです。



※この作業を、僕に声をかけてくれた『黒さん』。子供たちも居ることを知っていて公園も作ってくれていました。


僕は思います。
都会での災害復興作業では中々見る事がないだろうと思います。
ボランティアが畑を準備する姿は・・・


(写真:大地が沈んで居るので、夕方になると直ぐそばまで海が来ます)

打ちのめされる程の出来事に出会い、
新しい一歩を踏み出す時、

皆さんでしたらどんなコト
『助けて欲しいですか』


※熊野地方、大丈夫でしょうか、心配です。

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