2011年12月5日月曜日

2011年12月5日 がってんレポート

12月5日レポート

昨夜は地元方々と全国いろいろなところから来たボランティアと沢山の想いを語り合いました。

金山町のこと、放射能のこと、避難生活のこと、移住のこと、原発内での作業のこと、内部被爆のこと、子供のこと、家族のこと、地域のこと・・・etc



今回のプロジェクトで『見たこと、聞いたこと、感じたこと』をメモしたいと思います。

◎私も含め子供二人ともホールボディーカウンターで内部被曝の状況を測定したら、既に内部被曝していました。
◎暮らしの場は家の中でも2~3マイクロシーベルトです。私たちもしかしたら麻痺してしまっているのかも・・・
◎家の庭は90マイクロシーベルト?あります。必死です。除染に庭の土剥ぎの連続です。30まで下がりました。でもなかなかそれ以上下がらない・・・
◎何度も何度も移住を考えました。でも、手に職も無いし、夫婦間で意見の食い違いが出て、まだ吹っ切れない・・・
◎子供が小学校に上がるタイミングで引っ越したい、でも福島から離れられない。
◎震災から数週間、水も電気も食べ物も何も無かった。原発が爆発したことも当時は知らなかった。今思えば子供と何度も水汲みに行ったり、食べ物を別けてもらうためにならんでいたあの時がもっとも酷く被爆したかもしれない。川の水も汲んで使っていたし。もう一体どうしたら・・・
◎原発の中で作業しています。誰かがやらないといけないのです。私は妻も子供も津波で失いました。
私は今、私の出来る事を必死でやっています。
◎私は25歳、知らずに暮らしていた数週間?家周りは80マイクロシーベルトだった。慌てて実家に戻ったのだけれど、計ってみたら、0.5~0.6です。最近友だちとよく話す事があります。『もう私たちは子供生むことが出来ないね』・・・

この4日間に交わしあった言葉の端々ですが、
少しだけここに記しておきます。

『もう私たちは子供生むことが出来ないね』・・・25歳の女性の声が今も耳に残ってます。
私たちは今一体何処へ向かっているのでしょう。

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