2011年3月18日金曜日

2011年3月18日 がってんレポート

3月18日
とても冷えた朝をむかえました。
今日は震災から1週間がたちました。

大槌町は庁舎も壊れ車も燃料も無いと
昨晩ニュースを聞きました。
私たちはほとんどの物資を皆さんに手渡しましたので、
車両の中に沢山のスペースが出来ました。
車も燃料も無いので、せっかく支援物資が届いている備蓄所から、
支援物資を届けられない状況である大槌町へ向うことに決めました。

日の出頃大槌町に到着し、
道を聞いた人がお寺さんの方でした。
このお寺さんにも80名近くの人が非難しているそうです。
小さな子どもたちを集めて一人のお姉さんが行き止まりの道で遊んでいます。
水の入ったポリタンを一輪車に積んで運んでいるおじいさんがいます。
小学校の避難所には自治会長でしょうか。
年配の方たちが陣頭指揮をとっています。
私たちは申し出ました。
『車と燃料を持ってます。何処にでも行きますので言ってください』
3名の年配の方を乗せて、
大槌町の配給品を一手に扱う場所へと向います。
市街地は橋が落ちているので遠巻きで向います。
山に差し掛かると数台の車が立ち往生しています。
路面が完全に凍結し横向きになって車が坂を落ちてきます。
警察の車も自衛隊もみな落ちてきます。
みんなで一台また一台と車を押したりひっぱたりしながらどかします。
私たちは行く手を諦めましたが、
それでも生きるために車を進める人を止めることは出来ませんでした。
古里古里の集落でおばちゃんを下ろし、
小学校にておじさん2人を下ろし、
道が解凍し次第また戻る事を伝え、
私たちは一路、釜石へと向います。
釜石は今まで私たちがお手伝いさせていただいた街より大きいいです。

なんとボランティアセンターが立ち上がっていました。
荷物の運び出しや避難所などでのケアーなどいろいろやる事が多そうです。
徐々に各地域でボランティアセンターが立ち上がりつつあるようです。
人は足りていません。各地の社会福祉協議会や災害対策関係に問い合わせてみてください。

釜石で地図をやっと手に入れることが出来ました。
再び大槌町に戻る最中に、
小さな子の手をつないだ家族が、
ペットボトルや一升瓶抱えて水を運んでいるところに出くわしました。
ポリタンに入った水があったので、
全て家族に上げました。
これでペットボトルや一升瓶、ビニール袋で運ばなくてよくなると、
涙を流していました。

大槌町の小学校に戻り、
おじさんを乗せて解凍された山道の先の物資センターへ向います。
小学校には灯油がまったく無くて今夜の暖房がないといっています。
物資センターの備蓄にあるので運搬してもらうように頼みに行くのです。
おじさんは疲れた声で言いました。
みな一週間の避難生活に疲れが出ていると、
生きるためにはしょうがない・・・
私も家内が流されてしまった。
家も会社も家族も全てを・・・
道はわかるので少しの間でも寝てください伝えると、
ありがとう、と。

とても今を生きる意味を教わった一日でした。

私たち二人はとても小さなチームで動いています。
小さなチームでも出来ることを見つけて少しでもお力になれるようにと思っています。
そんな事を確認できる川原は好きです。
今日は安らぐ川原で寝ます。


【sanaeより】
今日もガッテンからレポートが届きました。相変わらず誤字脱字が多いのですが、そのまま全文を掲載しています。文中に古里古里とあるのは、吉里吉里のことだと思います。皆さんからガッテンの残りの燃料を心配する声をたくさん頂いていますが、大丈夫とのことでした。超エコドライブで、過去最高の燃費効率だそうです。ありがとう!

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