2011年3月17日木曜日

2011年3月15日~17日 がってんレポート

3/15
11:35 函館発
15:25 青森着
※函館発青森行きの連絡線は、2~3時間に1本1日中出ているので使える。

青森の港から120キロ離れて南郷町カッコウの森と言う道の駅まで移動。
青森市内のGSのほとんどは売切状態で、
長蛇列をなしている唯一開いているGSもガソリンの在庫がほとんど無い模様。
GSを除けば、見た目は不通の町並みで、
無邪気な女子高生が楽しそうに笑いながらおしゃべりしている、何処にでもある風景。

道中のジャスコに立ち寄ってのだけれど、
意外なほど商品が無い。
穀類や豆腐、納豆などのある棚は軒並み空っぽ。
もちろん鮮魚もお肉も零食も・・・
あと1日2日持つかもたなか。
津波の被害の無かった青森市だけれど、
函館とは大違いにビックリ。
もっと北からも食材や燃料日用品などの物資を供給できるはずと感じた。
今後は函館からボランティアが入れるようになるといいなぁ。

明日は真冬なみの寒さと雪にさいなまれる模様。

いよいよ太平洋側へ出てみようと思っている。

3月16日
今日は青森を朝6時に出発し、
葛巻村を経由した辺りから一段と雪が強くなってきましたが、
岩手の宮古市を目指して進んでいきました。
いくつかの道は土砂等で通行止めで引き返しながらでしが、
宮古市には無事に13:30に到着しました。
合同庁舎に行きご挨拶がてら非難状況などの情報を集め、
市役所に向いました。
市役所は海のそばにあり、
1階の全てを破壊されて機能低下に落ちていました。
住民課は流され全てを失い、
市民課に行き避難所や物資の配布表を見せてもらいました。
とてもとても一生懸命皆さんがんばっていて、
助けたいと言う気持ちがさらに強くなりました。
道の開いたばかりの避難所の学校へ物資を持って行こうと出発したのですが、
リアス式海岸のため集落から集落の移動は遠く道狭いです。
近くまで行ったのですが、
崩れた家を重機が引っ張っている最中でたどり着きませんでした。
自衛隊の調査部隊の人と少し話しました。
自衛隊も道がわからず苦労しているみたいです。
時より大きな余震が来ます。
そんな時海辺を通行していると、
少しはらはらしますが、
みなが一生懸命、捜索と復興へ向けて活動している姿を見ると、
反対に勇気を貰います。

3月17日
今朝は格段と寒さがましておりました。
寒いと目覚めが早いもので、
6時には寝床を出発できました。
昨日たどり着かなかったエーリアに向います。
ここ三陸はリアス式の海岸ですので、
山を越えた入り江の先に集落といった具合です。
道は除雪が入れる燃料も、重機もなく、雪を漕いで集落に向いました。

小さな集落にたどり着くと、
みなが一丸となって倒壊した家から1つまた一つと、
思い出の品や残っている灯油缶をガレキの下から取り出しています。

『支援物資を投下したら直ぐに手伝おう』
後ろ髪を引かれる思いで、
2つあるうちの1つの小さな避難所へと向いました。
小さな子どもを持つお母さんやおばあちゃんがいます。
『何か足らないものありませんか』と声をかけました。

足らない物がいっぱいあるのでしょう。
しかし『ここだけではもらえない、苦しいのは皆一緒だから・・・』
困りました。
私もお母さんもおばあちゃんも・・・
必要だと言うことは解っているのです。

小さな集落をまとめる団長さんと出会えました。
団長さんに必要な物を渡しても言いかと確認のお話をさせてもらいました。

団長さんは全てわかっていました。
私たちの思いもお母さんやおばあちゃんの思いも。
わかった上で、
物資を預からせてくれと、
深々と頭を下げられ、
小さく『本当にありがとう』と・・・

解りますわかります。

物資を団長さんに預け、
先ほど目にした家屋からの物だしを手伝いに直ぐに向かいました。
家屋の片付けは家一件分の瓦礫一本一本てで取り除きます。
まだ見つかっていない人もいるそうです。
集落そうで一丸となって一軒ずつ片付けます。
とても笑顔です。
なぜだか優しいです・・・
なぜでしょうか・・・涙が出てきます。

軽トラが横を通り過ぎました。
団長さんと一緒にいた人です。
私たちが預けた物資を積んでありました。
小さな避難所へ向けて走り去って行きました。

午後の日差しの中集落を後にし、
山越えをしようと車を走り出させると、
皆が『ありがとう、ホントにありがとう』と見送ってくださいました。
団長さんにご挨拶をし、
まだ物資がありますと言うと、
『自分たちは小さな集落で、
親戚縁者が多いので助け合えるから大丈夫です。
隣の集落の方が酷いからそこへ行ってあげて欲しい』と言いました。
震災から6日目で開通した小さな集落は、
私たちにとても多くの事を感じさせてくださいました。

行って見ると隣の集落は大きくて、
避難所も沢山有ります。
国道沿いなので大きな避難所にはそれなりに物資が来ている感じがしました。
しかしよくよく話を聞いて見ると、
学校のような大きな避難所には物資が入っているが、
民家の離れや倉庫などに非難している人には、
まったく物資が届いてないそうです。
指定された避難所は行政も把握し物資を渡しているが、
指定されていないところは把握し切れていないようです。
また、そのようなところに非難している人は、
大きな避難所の物資を貰いに行くのは遠慮しているみたいです。
小さな避難先を探し出し1つ1つ廻る事にしました。
1つ目の小さな避難先を見つけました。
立ち寄ると中から沢山の人が出てきて車を取り囲み、
一斉に車から物資を持ち出しました。
追い込まれている様子でした。
悲しくてほとんど全てを上げました。

夜も更けて雪も強くなってきたので、
今日も自転車置き場で休むことにします。

明日もがんばります。

【sanaeより】
携帯電話をPCにつなげて、ようやくネット接続が可能な環境になりました。3日分のレポートが送られてきましたので、載せますね。凍える中、パソコンに向って打ってくれたので、誤字脱字が多いです。でも、そのまま、載せました。

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