3月26日
あの日から2週間の時が流れました。
今僕は日本海を北に向けて北上しております。
いったん石巻から離れます。
石巻市街地から1時間も離れると、
車窓に見える風景は何処か懐かしささえあります。
家が壊れていません。
信号が点いています。
品物はほとんどないのですがコンビニに明かりが点いています。
トイレがあるし、トイレの水も流れています。
こんな世界があったのですねと思ってしまいます。
『子供が泣くので避難所では迷惑をかけてしまう』と言い、
1階が津波で壊れかろうじて残った電気も水も無い2階の部屋で残った家族で、
耐えるように暮らす家族。
空き地に車を停めて車で生活する家族など避難所から離れて身を寄せ合う人々には、
今だ食料が届いておりません。
ひっそりと耐えるように生きぬく人々の数は把握しきれていません。
余震のたびに子供が怯え、泣いてしまうと母さんが言っています。
きっと思い出すのでしょう。
壁のように高く盛り上がった海水が、
家を飲み込み車をを飲み込み次々と流されていく中、
傾きかかった家の窓枠に必死になってお母さんと共にしがみつき、
『放したらダメ、放したらダメ』と流れに飲み込まれそうになる中で、
お母さんと共に必死に耐えた事を。
引かぬ水の中、板につかまりお母さんと共に高い建物の屋根に向って必死に泳いだそうです。
僕はいったん北海道に戻ります。
北海道で出来ること
現地で出来ること
あります。
現地での活動【第一章:風の活動】から、
北海道での活動第二章が始まります。
また、こんな私の勝手な行動のボランティアを、
沢山の方が支援してくださってありがとうございます。
物資と言う形で支援してくださいました皆様ありがとうございます。
小さな集落・街で孤立した状態であった方々・道で力尽きて座り込んでいた人など、
今につまずいた状態にあった人に手渡せたと思います。
お金と言う形で支援くださいました方々ありがとうございます。
海を渡る費用、車の燃料費、10日ぶりに入ったお風呂の費用、
薬品などの追加資材を買う費用、
財産の一切を流されて買う事の出来なくなった人への嗜好品を買う費用、
などとして使わせていただいております。
皆さまの心使い本当に感謝しております。
私の体を通して、
出会った被災者の方々への生きる力の応援に変わったのではと思っております。
今回の災害は本当にいきの長い復興となる事でしょう。
私もまた第一章風のような活動から第二章へと映ります。
第二章から第三章、第三章から第四章と状況に合せて私も関わり続けようと決心しました。
小さな支援隊『わっか』ではありますが、
今後も暖かく身守ってください。
ありがとうございます。
津軽海峡を渡るフェリーの中から。
<写真:この子供たちの笑顔、絶やさぬよう>
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